爆弾は石鹸にはなれなかった。中性子爆弾の父サミュエル・コーエン永眠
中性子爆弾の父コーエンが先週末、胃がんの毒が回って永眠しました。ペットのように兵器を作り、実験し、妙な解説を加える89年の生涯に幕を閉じたのです。
中性子爆弾は冷戦の真っ只中に開発され「クリーンな」爆弾としてもてはやされたものです。街を溶かしたり吹っ飛ばすのではなく、中のものに放射線を当てるので、例えば全市民を殺しながら建物ひとつ倒れない、旧ソ戦車の行列も横倒しにならない、優雅で礼儀正しいヌーク(核爆弾)。核爆弾は当時も不人気でした。醜い。広島。でもこの中性子爆弾なら「放射線による破壊が主力なので、影響を抑制した対人攻撃が可能な核兵器なのだ」と、コーエンはペンタゴンのPR講演で力説したのです。
核兵器は、思い切り簡単に言ってしまうと、熱線・爆風で半径何マイル以内のものをことごとく破壊する武器です。炎が天高く立ち昇り、とてつもない衝撃波を放ち、灼熱の灰が降る。それが起こるのは、爆弾のエネルギーが爆発で外に出るからです。
それに比べ中性子爆弾は内包エネルギーのほとんどが無音の放射線となって放たれ、爆風も比較的小さい、だから街も無傷で残る、少なくとも壊れない、というわけですね。上品でしょ、とコーエンは言いました。
あまりにも上品なので ―一度はこうも言っています―「これはキリスト教の『正義の戦い』原理に従う道義的武器とも言える。敵の軍人と罪のない民間人を差別して使えるんだから」
放射の毒で軍人だけ殺せる、中性子爆弾は神も喜ぶ武器! 東側の旧ソ元首ニキータ・フルシチョフまで「背広に血痕ひとつ残さず殺せる武器」なんて言い出す始末でした。
でも結局それもこれも嘘だったんですね。今となってはみんな知ってることですが...。1982年、国務省は議会に提出した報告書の中で、この「街を守る魔法の中性子爆弾」の、そんな天使でもない実像に触れ、「ビルは壊さず人だけ殺す武器」という中性子爆弾の触れ込みは「世界中の人々の注目を引きつけるため一部マスコミが行った誤解釈である」と書きました。
これはまだ行儀のいい書き方です。中性子爆弾は技術的に見ても天国のイメージとは掛け離れたものだったので...。以下は、ペンタゴンのNiles Fulwyler将軍の証言。
仮に現場に立ってそれ[中性子爆弾]を遠くから眺めても普通の核分裂型爆弾とは区別つかんでしょう。とてつもない爆風・閃光・熱線がやっぱり起こる。世の中のみなさんに放射能強化型兵器を近距離支援兵器と混同してもらっちゃ困るね。
そうなんです、「クリーンな核兵器」というのは絵空事、爆弾のエネルギーの65%は爆風になるんですね。実戦では一度も使われたことがなので、将軍の話も仮定形ですが、これだけレベルのエネルギーが放たれていたらまず間違いなく従来核爆弾並みの破壊(つまり大量破壊)が起こっていたはず。一緒に出る放射線の量は前より増えてるんですから、クリーンなわけないんですね。
じゃあ一体どこからそんな発想が出てきたのか?
コーエンの頭の中で何故そんな夢物語が出来上がってしまったのか?
「やっぱり博士だからじゃない?」―いや、コーエンは核物理学者として働いてた割には上の学位は取ってないので、それはないです。真珠湾攻撃後すぐ入隊し、戦後もUCB博士課程を中退しRANDに入社した人なので。
真相はもっと意外というかなんというか...冒頭でもチラッと書いたように、回顧録「Shame: Confessions of the Father of the Neutron Bomb(恥:中性子爆弾の父の懺悔)」(きっと彼はこの本の中で何かを伝えようとしたんでしょうね)の中でコーエンは、あんな爆弾作ったのは狂った母親のせいだ、と書いてるんですね。
わざわざ書評で取り上げた団体もあんまりない本なのですが、米国科学者連盟(FAS)は「どんなに隙だらけの核兵器評論家も書くのを躊躇うような主張」として、こんなコーエンの文章を再掲しています。
自分の核兵器開発の仕事も元を正せば子供の頃、健康と栄養に妙なこだわりのあった母親に受けた虐待から生まれてきたものだ。トイレのしつけはまるで暴君制だった。
こりゃフロイトの出番ですね。
コーエンの死の何十年も前に中性子爆弾をめぐる議論は廃れて久しいのですが、コーエンの人生と業績を見ると、テクノロジーと人生、そのふたつが生む幻の奇妙な交わりを思わずにはいられませんね。
核爆弾は核爆弾。どんなに強く願っても石鹸にはなれないのです。
イラスト担当:Sam Spratt(サイト、Facebook、Tumblr)Sam Biddle(原文/satomi)