第五十七回 《春助、それから、のち》(1)
新雑誌名は「がんがん野郎」
「野郎」は昭和三十年代の不良っぽくてかっこいいお兄ちゃんのキャッチフレーズだ。
「かっとび野郎」とか「おまつり野郎」とか。
映画界はもう少しスマートだった。石原裕次郎はタフガイ。小林旭はマイトガイだったか。ダンプガイというのもあったな。双葉社労組梁山泊のメンバーは日活アクション世代なのだ。
「キー・ワードは『ヒューマン』。ヒューマニズムじゃいやらしいけどヒューマンならいいよな」
小尾は「がんがん野郎」の創刊精神をそう表現した。
表紙のイラストもぼくが描くことになった。絵の下手なぼくに勤まるかどうか。普通なら断るところだけれど、「がんがん野郎」はただの創刊企画ではなく、誌面の前面に山上たつひこのイメージを押し立てていこうという編集企画なのである。ありがたいことだ。これは承諾しないと罰が当たる。
緊張のあまりぼくはつまらない味のない弱々しい絵を描いてしまった。男が大口を開けて笑っているイラストなのだが、ペンの乱れるのが怖くてコンパスと雲形定規を使って曲線部分を描いてしまったのである。
これにカラートーンを貼り付けたものだから平板でアピール度のない絵になってしまった。「がんがん野郎」の趣旨とは対極の活力欠乏の表紙絵である。
小尾がこの絵を見てどんな反応をするか手に取るように予測できた。