『シジュウカラ』は過去の“不倫作品”とは違う選択肢を提示? 丁寧に描かれる女性のリアル
(c)「シジュウカラ」製作委員会
坂井恵理による漫画原作を主演・山口紗弥加×監督・大九明子でドラマ化した『シジュウカラ』(テレビ東京系)。本作は、漫画家とはいうものの、もう新作は描いておらずアシスタントを20年も続けてきた39歳の綿貫忍が、アシスタントをやめて夫と息子とともに地元に戻るところから始まる。【写真】ミステリアスな色気を放つ板垣李光人 しかし、漫画をやめようと思っていたそのタイミングで編集者から連絡が入る。昔、レディースコミックで描いた作品が電子書籍でヒットしたため、もう一度漫画を描いてみないかと持ち掛けられるのだ。ネットをしていると刺激的なコマを抜き出した広告を目にするが、忍の作品もそういう効果でリバイバルヒットしたのだろうとうかがえる。 思わぬ原稿料が振り込まれたこともあり、忍はアシスタントを募集する。そんな彼女の前に現れたのが22歳の橘千秋(板垣李光人)という青年だった。 この千秋が謎めいている。漫画のアシスタントの経験はあるし、デジタルで漫画を描く知識や経験もあるのだが、自分で漫画を描いて応募もしているというのに、家にはパソコンもタブレットもないというところがひっかかる。 千秋は忍の家族を見て、忍の見ていないところでなぜか息が荒くなる。アシスタントの面接をしたその日に家に行きたいという唐突さもある。そして距離がやけに近い。そういう描写があることで、原作よりもより謎めいた、サスペンスのような色合いを増しているようにも見える。 しかし、千秋が羨む忍の家族も順風満帆というわけではない。夫・洋平(宮崎吐夢)は一見、ふんわりしているのだが、そのふんわりした中に、嫌味な表現が多々ある。忍が料理をふるまったときには「やっぱり家で仕事する人って料理うまくなるよね」「俺なんて料理してる時間ぜんぜんないもん」と言い、別の日の食事のときに自分で箸すら用意しない態度は息子からもあきれられている。忍に多額の原稿料が支払われたときには、「こんだけ稼げるんだったら俺会社やめちゃお!」と言ってはしゃいだりもする。こうした言葉は一見、妻の仕事を肯定しているように見えるが、妻が実際に生き生きと仕事をしているのを見ると、それを良く思うわけではない。 ふんわりした嫌味は、他人が見かけてもその棘には気づかないかもしれないが、繰り返されたほうはたまったものではないだろうなという想像がつくし、もし家庭内に何かの不和があるのならば、あからさまな暴力よりも、こっちのほうが世の中には多いのではないだろうかとすら思えてくる。 やがて千秋の思わせぶりな態度は加速していくが、忍は、疑り深い。それは、普段から年齢によって「いい歳をして恥ずかしい」と言われたり、仕事をしながらでも家庭のことを完璧にできていない自分にうしろめたさを感じたりしてしまうことの多い女性だからこその表現かもしれない。実際、夫は「いい歳こいて」とか「母親なんだから」とか「男の浮気と女の浮気は違うんだよ」という言葉を投げかける。 しかも、千秋には目的もあるから余計に疑り深くもなる。しかし、ときおり千秋が悲痛な叫びをあげることと、つらかったときに忍が描いた漫画が支えになったということが事実であるからこそ、忍は少しずつ千秋に惹かれていく。 これまで……といっても私が思い浮かべるのは『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(フジテレビ系)や『セカンドバージン』(NHK総合)や『失恋ショコラティエ』(フジテレビ系)などだが、不倫をした女性は、なんだかんだ思いとどまって、自分の行動は一時の気の迷いだったんだと、元の生活に戻るか、もしくは映画まで進むと、どちらかが亡くなる(か亡くなったかのような)ラストがほとんどであった。 それは、忍の夫が言うように「男の浮気と女の浮気は違う」とされている現実があるからだろう。 しかし、現実にはその二択とも限らないことがほとんどだし、息苦しさを感じつつも、やっぱり自分さえ考えを改めれば周りも変わるはずと、壊れた家庭を修復して維持したほうがいいという物語が苦しい人も存在するのではないか。『シジュウカラ』を観ていると、これまでの二択ではない物語を期待してしまう。
西森路代